17代住職 乗道の思い出

第17代住職 乗道    現住職(第19代)の祖父です。

明治30年 高岡市 善念寺に生まれる。

大正 8年 光福寺に入寺 第16代住職と養子縁組

大正10年 龍谷大学卒業 光福寺住職拝命

昭和14年 讃衆拝命 高岡教区の勤式講師として出講

昭和17年 天台宗、魚山遮那院住職 多紀道忍師より魚山声明を伝授

昭和28年 光福寺本堂屋根替工事竣工 慶讃法要勤修

昭和50年 光福寺住職退任

昭和63年 入寂 満90歳

54年間にわたり光福寺住職を務め、今も地域の方にとって思い出深い住職ではないかと思います。特筆すべきことは天台声明(しょうみょう=仏教音楽)を伝授されていることでしょうか。

住職退任の年に、自身の学びの集大成として「梵音」という本を出版しています。その「はしがき」には次のことが書かれています。

 青年時代に吉田積行師、富樫信瑞師から声明を習い、中年に至って阿部珀琳師の懇篤な指導を受け、兼ねて天台宗の多紀道忍師が三千院の遮那院を出でて坂本の仮寓に静養しておられるのをおたずねして教えを受け、種々のお話を承る機会を得た。当時は戦争中で旅行も食糧事情も困難な時期であったが、都合して毎月1回4、5日は上洛し、1ヵ年近く続いて両師を訪れたものであった。以下略

乗道はSONYのオープンリールのテープレコーダーで数々の録音を残していました。一般家庭にテープレコーダーが出回った時には住職引退間際で、できることならばもう20〜30年前の全盛期の録音があれば聞いてみたかったです。

数々のテープの内容を残すべく平成12年、CDに編集して乗道13回忌法要の記念として有縁の方にお配りしました。(声明集disk1と2、声明集Ⅱdisk3と4の4枚)そのCDのジャケットがこの記事冒頭の写真です。

平成12年当時、私(現住職)はまだ社会人として働いておりましたが、勤務から帰り夜になってテープを再生し、CDに収めるものを選び秒単位で測り、タイトルを書くために何を唱えているのかを調べ‥‥という作業を繰り返していました。無事に出来上って配布したのですが、当時、「稽首伽陀」というものを知らずタイトルに「十二礼」と書いたところ、間違いを指摘する電話が大変な勢いでかかってきました。

 

その他に乗道は華道や尺八を趣味とし、池坊華道や草月流生花、都山流尺八の席名をもっておりました。

現住職にとって思い出に残る乗道は70歳を超えており、極めて耳が遠く、口数も少なく穏やかな人でした。ベレー帽を被り臙脂色のジャケットにカメラを肩にかけ、ピンと背筋が伸びてステッキをついて出かけていく姿が印象に残っています。

しかし、古くから乗道を知るご門徒の印象は「背が高かった」「こわかった」「威厳があった」という声が多くあります。若い頃の写真を探しましたところ、昭和24年、光福寺の世話同行会結成1周年で薮田、小杉の方々と映っている写真がありました。当時53歳ですがずいぶんと存在感を感じます。

 

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