光福寺について

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薮波その 遺墨ギャラリー

第17代坊守  薮波その(平成元年3月没 83歳 現住職の祖母)が 残した書の数々をご紹介するコーナーです。 屏風 昭和49年表装 金婚記念の茶会を行った。屏風の前に野の花26瓶を飾った。 客人60余人。と記録されています。 この屏風の向か...ReadMore
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stand.fmでお朝事を毎朝配信中

配信アプリ「stand.fm」で毎朝のお朝事を配信しています。 6時50分〜7時10分(過ぎ)まで、「讃仏偈」と「正信偈」(速度早目)、和讃六首引の繰り読みのおつとめです。調声は住職と坊守が1日交代です。ぜひ一度「光福寺のお朝事」で検索して...ReadMore
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光福寺の梵鐘

光福寺の最初の梵鐘(つりがね)は、元禄16年(1703)、縁のあった加賀藩士横山氏から寄進されたものと伝えられています。元来、金沢の寺院の梵鐘で名工宮崎寒雉の作であったものを、光福寺第7代浄聖が横山氏と縁あるが故に光福寺に譲られたということ...ReadMore
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17代住職 乗道の思い出

第17代住職 乗道    現住職(第19代)の祖父です。 明治30年 高岡市 善念寺に生まれる。 大正 8年 光福寺に入寺 第16代住職と養子縁組 大正10年 龍谷大学卒業 光福寺住職拝命 昭和14年 讃衆拝命 高岡教区の勤式講師として出講...ReadMore
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淺野總一郎生誕の地 薮田

光福寺の目の前に、明治の大実業家で京浜工業地帯の父と称される淺野總一郎生誕の地の石碑があります。
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境内全景

境内と本堂内の様子をドローンで撮影しました
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郷土に輝く人びと「藪波淨慧」

昭和50年に富山県が発刊した「郷土に輝く人びと」に、光福寺第15代住職、藪波淨慧が掲載されています。淨慧は嘉永5年(1852)射水郡塚原村(現 射水市)の覚円寺に生まれ、成人して光福寺を継ぎました。
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光福寺の近辺・氷見市の風景

光福寺から100mの海岸から見た海越しの立山連峰 1.5km  阿尾城跡 戦国時代の城跡です 4km  比美乃江公園  絶好の散歩コース  氷見番屋街や総湯のすぐ近くです 6km 朝日山公園から望む氷見市街
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光福寺の沿革

浄土真宗の御本尊は阿弥陀如来ですが、光福寺の山号「薬師山」の名が示すように、室町時代には薬師如来を安置した真言系の寺院として存在していたようです。
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ドローンで見る光福寺銀杏の黄葉