光福寺の沿革

浄土真宗の御本尊は阿弥陀如来ですが、光福寺の山号「薬師山」の名が示すように室町時代には薬師如来を安置した真言系の寺院として存在していたようです。

本願寺第8代、蓮如上人が北陸の吉崎においでになった1470年頃、「加州 能登 越中 両三箇国のあいだより 道俗男女 群衆をなして この吉崎の山中に参詣せらるる(御文章1貼5通 雪中章)」と御文章にあるように北陸に浄土真宗が広まり、光福寺もその頃に浄土真宗に転宗しました。

加賀藩寺社奉行からの布達「貞享二年寺社由緒書上」には、光福寺は文明2年(1470)浄西が建立したと記されています。その後のはっきりと記録の残る歴史として

  • 天文 9年(1540)方便法身絵像下付(真宗初代浄信、証如宗主より)本願寺の統制下に入る
  • 慶長19年(1614)寺号免許、光福院から光福寺に 宗祖御影下付(三代浄心)
  • 寛永14年(1637)木仏、蓮師御影下付

というように徐々に浄土真宗寺院としての体裁を整えていきました。

近くの「薬師の山」と呼ばれる山に寺はありましたが、光福院が光福寺になった頃、現在の場所に移転しました。境内の大きな銀杏の木は樹齢400年と言われていますが、移転した当時に植えられたものと考えられています。

住職は平成18年より、転宗以来第19代、藪波 多佳志(釋浄真)が務めております。

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